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アントニオ少年

財産を全部やるから降りて来いと、叫ぶ父。

アントニオ少年は、泣き叫び止めに入る両親を目の前に十字架の上から言います。

「喜んで下さい! 私自身は天国へ行きます。」「お父さんお母さんもイエス様を信じて天国へ来てください」と。

※両親の信仰については2つの説があります

ヨハネ五島青年のお話

片足鳥居という場所があります。

かつて、ハンセン病の病院があった場所で26人は休憩の時をもつことになりました。また、そこで待っていた神父達による告解(罪の悔い改め)の時が持たれた。ヨハネ五島青年は、その時にやってきたクリスチャンの父と、しばしの別れの挨拶をしたのです。

ヨハネ五島は、「自分は先に天国に行き待っています。」

「父上、魂の救いより大切なものは何もありませぬ・・・そして決して油断せず怠らぬようくれぐれもお頼み申します。」

殉教を前に、魂の救いと宣教の事を父に委ね願った息子に対して、

「お前は神様への忠節のために天へ行くのだから胸を張って行きなさい。父は喜んでお前の死を見届けよう。私もお前の母上も、必要とあらば神の愛のために、主にこの命をささげる覚悟も用意もできている。」と話した。

父は、殉教を前にして魂の救いの事を語る息子の信仰を見て、とても満足し喜んでいました。

そして1人でも多くの人に福音を伝えることを2人は話し、その場で別れました。

説明を

聞いています。

殉教者達にとって、時津の夜は、まさにゲッセマネでした。地上で過ごす最後の夜となりました。

26人は夕方、東彼杵から舟で出て、

夜の11時頃、時津に運ばれてきました。

とっても寒い夜でした。

極寒の中で後ろ手に縛られ、小舟に揺られていた彼らは、祈りながら賛美しつつ過ごしました。

キリシタンの町であったので暴動が起きる事を役人に警戒され、その日上陸は許されず、26人は沖で、吹きさらしの舟に残されたのです。

殉教する前の最後の夜を舟の上で過ごし、

そして、殉教の2月5日。殉教者達は、処刑される、西坂まで歩いて行ったのです。

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