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上陸せずに極寒の時に海の上で夜を過ごしました
記念碑が立ってます
修道会同士、バックの国同士のぶつかりがあったが、
しかし、ペテロ・バプチスト神父(フランシスコ会)と、オドリケス神父(イエズス会)は、殉教を前に、主にある和解することができました。
迫害困難の中で これも恵み。
困難の中でこそ、ゆるしあえた。宣教方法の違いで隔たりのあった2つの会は、殉教の前に、同じ神様を愛する者たちとして一致が与えられました。
主は殉教前に和解をさせられました。
フェリペは、難船により日本へ。
メキシコ生まれのフェリペのお話。
フェリペは放蕩息子の様な生き方をしていましたが、悔い改めて主に献身していった。
しかし、すぐに元の生活に戻ってしまったのです。
そこで彼の事を心配する両親は、真面目な人になって欲しいと願い、商売に従事させるためにフィリピンに送ります。その中で、フェリペは再び主に献身することが導かれ決意しました。
マニラの修道会に入会を願いましたが、すぐには受け入れられず、その申し出を主の前に祈り熟考した末、院長は彼を受け入れました。
そしてその2年後、
フェリペは司祭に叙階(任命式)されるために生まれ故郷のメキシコに戻る様に命じられ、サン・フェリペ号に乗船。
ところが、大嵐でその船は難破して、日本に漂着したのです。
彼にとっては日本など知りもしない国。
その様な流れのなかで彼は捕らえられ殉教者に加わることになったのでした。■
その彼は26人の殉教者の中で、日本に最後に来て、最初に十字架上で槍を受けました。
神様は、フェリペを日本で1番始めの殉教者に選ばれたのです。
彼にとって、この殉教は、「強いられた十字架」だった。しかし彼は心から喜んで主に感謝していた。
フェリペは、言っています。
「自分の様な本来司祭になる資格さえないような者が、殉教の恵にあずかることができるのは、ただただ主イエスキリストの深いお恵によるものです」「サンフェリペ号が難船したのは、この私を救い、殉教の恵の中に入れるために、主が許されたのです。」
死海は美しいけど生き物は住めない。
ガリラヤ湖にはいのちが沢山住まう。
大村湾は、ガリラヤ湖に似ていると言われています。
・・・バスの中では、他にも沢山の説明や、エピソードが語られています。
とても全部の内容はブログに書ききれないほどです。
「パラダイス」をこの場所で公に初賛美
ドライバーさんにも聞こえています!
ここで一曲星名さんが歌います!
出発しまーす
イザヤ木原さんがゴスペルを歌う時間をくださいました。感謝いたします!