献金も奉仕も清められることも大切で祝福だが、それは中心ポイントではない。
神様が語られたことを「信じる」。
教会初期、海外宣教が語られていても、ルートもお金も能力もない、しかし、信じた人たちがいた。その人たちが世界に遣わされていったのです!
そして、主に聞き従うこと。
神学生時代にカリスマに導かれて、その時所属していた教会を出るように導かれた。これでもう神学校は退学になり真っ暗な道になると思い、その時大流行していた「大いなる主」を歌い続け、マーリンさんの本を貪るように読んでいた。
しかし、神学校は退学にならず卒業する時には卒業生代表となり、同窓会会長となった。その後大きな教会の副牧師となり、この教団は決して私を招くことはないだろうと思っていたところから、一番最初に招かれた。